悲しみが憎しみを生む

ねずみの母方の祖父は、
太平洋戦争で戦死しています。
母はその後、祖母が再婚した継父やその連れ子達と暮らしますが、
戦死した本当の父を想う気持ちと、
貧しさと悲しさは、いつまで経っても癒えることがありませんでした。
その悲しさは戦争を憎む気持ちとなり、
そして、ひいては天皇でさえも恨む気持ちとなりました。

幼いころから、ねずみは戦争はしてはならないと言い聞かされ、
昭和天皇が悪いのだと聞かされて育ちました。
「戦場をかける橋」という映画を見に行った兄は、
母と大げんかをしました。
歴史を習ったねずみ達が、太平洋戦争の意味や原因を知っても、
母には何も響かず、変わらない悲しみや、
見当違いの憎しみを持ち続けました。
戦争礼賛、正義のための戦争、すべて母にとっては悲惨な悲しみにしか
繋がらなかったのです。

かたや、母より10歳年上の父は、
後1年早く生まれていれば徴兵にかかった、と言っていたので
もう記憶がはっきりある年齢に戦争を体験しました。
父方の祖父は、潜水艦の設計技師だったので、徴兵を免れました。
双子だった父が育った神戸の家は空襲ですべて焼け、
命からがら逃げた京都の親戚の家の離れで
雑草を食べながら暮らしたと聞きました。
戦争をリアルに体験した父は、なぜか戦争を憎む気持ちは全くなく、
雑草を食べた話も、楽しそうに語るほどでした。

私は常々、母の悲しみも苦しみも、
父には理解できていないということを感じていました。
同じ戦時中に生きた人間なのに、何が違うのかと思った時、
その違いは、貧しさとか、大変さを体験したかどうかではなく、
ただ、大切な人を戦争で亡くしたかどうか、が違うのだと思いました。


戦わなくてはならない。
正義のために、大義のために。
命をなげうってでも、祖国を守らなくてはならない。
その気持ちを否定する気持ちはありません。
国によって、文化によって、そして歴史によって、さまざまな事情があるでしょう。

でも、ねずみの母のように、大切な親や、伴侶や、子供を亡くした人々の中に、
無条件に大きな悲しみと、そして憎しみが生まれるのではないか。
そして、それは平和になってもなお、
ずっとずっと残り続け、また新たな憎しみを生むのではないか。
そんな気がしてなりません。

建物は壊れても直すことができる。
空腹は食べれば、満たすことが出来る。
でも、人の命だけは戻すことができない。
その人の命を大切にしていた人々に残された耐え難い悲しみは、
時がたっても癒えることがない。

空を見上げれば、この空はウクライナにもロシアにもつながっている。
人を殺すことに、何もいいことはない。
なぜ、この現代で、話し合いや交渉で解決できないのか。
どうか、一刻も早く、人を殺しあう戦争を止めてください。
このころは、いつも胸が痛むねずみです。