四十九日
おかげ様で、
昨日、母の四十九日法要を
終える事が出来ました。
父が全く世間に疎いので、
葬儀も四十九日法要も、
一緒に段取りから動かなければならず、
とても大変でしたが、
これも勉強になりました。
母はお通夜の前あたりから、
「もう何処にもいない。
自由になって飛んでいってしまった。」
というような感覚が確かにあり、
葬儀も四十九日も、
残された者のためだけに
行っているように思いました。
私自身は、
母が焼き場で何もなくなって出て来た時に、
「母さんと一緒に生きた年月は終わったんだね。」
と強く感じました。
その時だけは、
声を出すことも、動くことも出来ず、
ただ、風景が真っ白になったように覚えています。
ありがとう、母さん。
一番の仲良しでした。
今日からまた、
新しく一歩を踏み出せそうな気がします。
皆様に感謝致します。
昨日、母の四十九日法要を
終える事が出来ました。
父が全く世間に疎いので、
葬儀も四十九日法要も、
一緒に段取りから動かなければならず、
とても大変でしたが、
これも勉強になりました。
母はお通夜の前あたりから、
「もう何処にもいない。
自由になって飛んでいってしまった。」
というような感覚が確かにあり、
葬儀も四十九日も、
残された者のためだけに
行っているように思いました。
私自身は、
母が焼き場で何もなくなって出て来た時に、
「母さんと一緒に生きた年月は終わったんだね。」
と強く感じました。
その時だけは、
声を出すことも、動くことも出来ず、
ただ、風景が真っ白になったように覚えています。
ありがとう、母さん。
一番の仲良しでした。
今日からまた、
新しく一歩を踏み出せそうな気がします。
皆様に感謝致します。