安らぎは自分の中に
じじねずみ(父)先週老人ホームに
移りました。
もう、精根尽き果てました。
この一週間でわかったこと。
どんなに素敵な場所であっても、
どんなに手を尽くしても、
父には、満足するものではない、
ということです。
父の望みは、
私が、四六時中家政婦のように傍にいること。
けして病気にならず、
どんな我儘でも聞き入れる。
つまり、亡くなった母の代わりです。
ある人が私に言いました。
「昔の人はそんなもんじゃないの?」
ああ。
でも、私は昔の女じゃない。
しかも、父は私の夫じゃない。
老人ホームから、
一日3回はかかってくる電話。
そのたびに、からみつく愚痴、愚痴、愚痴。
人の安らぎは、つくづくとその人の中に
あるものなのだな、と思いました。
その安らぎを見つけられない人は、
安らぎを人に求める。
だから、永遠に安らぐことがないのです。
人に感謝を持てることこそ、
自分の中に安らぎを持てる鍵なのだと、
つくづくと思う今日この頃です。
移りました。
もう、精根尽き果てました。
この一週間でわかったこと。
どんなに素敵な場所であっても、
どんなに手を尽くしても、
父には、満足するものではない、
ということです。
父の望みは、
私が、四六時中家政婦のように傍にいること。
けして病気にならず、
どんな我儘でも聞き入れる。
つまり、亡くなった母の代わりです。
ある人が私に言いました。
「昔の人はそんなもんじゃないの?」
ああ。
でも、私は昔の女じゃない。
しかも、父は私の夫じゃない。
老人ホームから、
一日3回はかかってくる電話。
そのたびに、からみつく愚痴、愚痴、愚痴。
人の安らぎは、つくづくとその人の中に
あるものなのだな、と思いました。
その安らぎを見つけられない人は、
安らぎを人に求める。
だから、永遠に安らぐことがないのです。
人に感謝を持てることこそ、
自分の中に安らぎを持てる鍵なのだと、
つくづくと思う今日この頃です。