幸せの基準

今日は父を退院させた後、
子ねずみ妹と展覧会に行きました。
現代アートと言われる類。
弁当箱に、発泡ウレタンを絞り出した
その作品群は・・・ちょっと
よくわからないというのがねずみの正直な感想。

その後、子ねずみ妹と遅いブランチ。
ねずみ「美術って難しいね。
あれが素敵って人もいれば、ママのように
よくわからんって人もいて。」
子ねずみ妹「そうそう。美術の評価は決まってないから。
その人がいいね、と思えばいいんだし、
その人に理解されなければ、それはそれだし。
だから、結局のところ、
人の評価を基準にしては描けないんだよ。」
ほほぅ。

ねずみ「それって、幸せの基準と同じだね。
衣食住が揃っていれば、絶対幸せという基準でもないし。」
子ねずみ妹「そうだね。
だから、人の幸せも、不幸せも他人は決められないんだよ。」
ねずみ「じゃあ、幸せの基準はなんだろね。」
子ねずみ妹「それは、その人の中にあるんだよ。」

娘、パンケーキをペロッと食べて言いました。
子ねずみ妹「だからさ。
幸せであることを実感するためには、
幸せではない状態も知らなくてはならないんだよ。
悲しい、とか、苦しい、とか、
寂しい、とか、そういう気持ちも大切なんだよ。
それで、人は自分の幸せの基準を作っていくんだよ。」
そして言いました。
「あ、ドリンクお代わりしてくるね。」

・・・・。
まだまだ子供と思っていましたが、
小さな頭の中で、本当にいろいろなことを
考えているんだなぁ。
そして、それをサラッと言ってのける子ねずみ妹。
子どもって、ホントに親より偉いです・・。