顔真卿(がんしんけい) その②

世にも貴重な書と言われる顔真卿の書
「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」
顔真卿の甥が非業の死を遂げたのを
供養するための書の下書きで、
珍しく現存する肉筆の書である上に、
(当時は石に掘り、その拓本が残されているのが普通)
最初は丁寧な書き出しながら、だんだん
悲痛と義憤に心を揺さぶられ、筆致が乱れていくという書。
西暦758年の書ですから、軽く千年は経っているのであります。

ですから、まず、紙がもろい。
で、台湾から持ち出すには、リスキー。
台湾や中国の方が怒るのも無理はないです。
きっと、もう二度と日本での展示はないだろうと言われるのも
納得の古さでした。

さて、国立博物館。
既に18時はまわっているのに、かなりの人。
中国の方々がたくさんいらっしゃいました。
中には小さなお子様連れも。
「祭姪文稿」以外にも、
王義之や、顔真卿や、たくさんの拓本が展示されていて、
音声ガイドに従って丁寧に見て行きました。

普段書いている漢字にも、
いろいろな字体の変遷があり、
また、その時の流行りもあったようで。
いずれにしろ、
ねずみには、どうやれば、あの固い石に美しい文字が
掘れたのだろうと、不思議で一杯でした。
中には15メートルの大きさの石に掘られたものの拓本もあり、
いったいどうやって掘ったのか、そして拓本をとったのか、
ホントに、奇跡のような仕事ぶりだと
感心することしきり。

さて、名筆「祭姪文稿」はというと、
特別なケースに入れられ、
それを見るのには、また30分並ばなくてはならないという状態。
まぁ、これを見に来たのだから、と並んで順番を待ち、
さて、いよいよその時がやってきました!

が、その時は、たったの3秒。
一列になった観覧者たちは、流れるように進まなくてはならず、
速足で駆け抜けぬけた、その名筆は、
私の記憶に、何も残さず、過ぎ去っていきました。

むきーっ!
一生に一度のこの機会!
では、再度チャレンジ!
ちょうど子ねずみ妹が来たので、
一緒に並び、もう一度拝むことに。
でも、やっぱり一緒。
3秒では・・・・私には、書き損じにしか見えない。
あああ、あの書がわからないとは情けない。

ただ、書の迫力だけは記憶に残りました。
で、いろいろと考えたのですが、
あれが日本語で書いてあったのなら、
きっともっと感涙したのだろう、と。
字は、理解できてこその字、であると
結論を出したねずみなのでした。