安楽死

先日NHKで、スイスで安楽死を選んだ女性の
ドキュメンタリーがあったのですが、
昨日やっと見ることが出来ました。

自分の死を考えることは、
自分の生を考えることと同じ。
神経性の難病に冒された女性の言葉が
深く胸に響きました。

食べることも、排泄することも、
水を飲むことも、
意思表示することさえ、自分でできなくなる。
それがわかっていても、
生き続けることを選択するのか。

それを選択しなかった女性と、
それを選択した女性。
両方の生き方。

私自身に、そのことが起こったら、
どうするだろう。

今朝、家族が揃っていたので、聞いてみました。
「私が難病になって、スイスで安楽死するって言ったら、みんな、どうする?」
子ねずみ達も、連れねずみも、即答でした。
「ママがそうしたいなら・・・いいよ。」
「いきなり『今日、安楽死します』ってのはダメだけど、
ちゃんと事前に相談してくれたら、応援するよ。」
「ママが痛くて、苦しいなら、それで死にたいなら、
それは受けとめるよ。」
あぁ、そっかぁ。そうだよね。
この人たちは、まずは私を尊重してくれるんだなぁ。
そう、そういう人たちだよ。

いつか、みんな、人は死にます。
どうなって死ぬのかはわからないけれど、
いつも、少しずつ、
きちんと、いろんなことを考えて、コツコツと生きていれば、
死ぬ時も、おのずから結論が出てくるのではないか、
今は、そのくらいしか、解らないねずみなのでした。