昔、犬を飼っていたお話

私が幼い頃、どうしても弟か妹が欲しくて、
母にせがんだことがありました。
母はもう子供を産むつもりがなくて、
代わりに犬を飼おうということになり、
中学一年の時に来たのが小さな小型犬でした。

パピヨンという犬種でしたが、
形が大きすぎる事、耳の色がハッキリしないとかで、
売れ残っていたという犬でした。

それはそれは可愛くて、
夜になると、いつの間にか私の布団の上で寝ていて、
重さが目が覚めることもたびたびでした。

やがて時が進み、
私が家を出て就職し、父が単身赴任になると、
犬の世話は母の仕事になりました。
母は余り動物が好きではなかったのか、
たびたび「貴女のところで引き取って」と言ってきました。
ついに結婚した私の家に引き取ったのですが、
その時にはもう15歳。
目は白内障で見えないようになっていました。

白内障もあったのでしょう。
知らない人(夫・・今の夫ではないのですが)が怖かったのでしょう。
生活が変わったこともいけなかったのでしょう。
もう認知症で昼夜逆転だったのもあったのでしょう。
夜はずっと吠えるようになり、噛むようになり、
だんだんと手に負えなくなってきました。
そんな時、夫の両親が遠方で事故をして重傷を負い、
私が付き添わなくてはならなくなりました。
犬は夫が夜だけ世話をしていたのですが、
もう犬の世話はしたくない、と言われ
犬はまた実家に帰ることになりました。

それからしばらくして、
母が外泊するときに、生まれて初めてペット屋さんに預けてしまい、
どうしたことか、そのまま亡くなってしまったのです。
母の意向で亡きがらも帰って来ず、
お別れも出来ませんでした。

今でも後悔しています。
その時、もう犬は飼わないと決めました。
私が学生時代、つらい時も、哀しい時も、
いつも丸い目で見上げて、側にいてくれた犬。
私が話しかけるとちょっと首をかしげる姿。
嬉しそうにしっぽを振っては、膝に乗って来た甘えんぼさん。
本当にごめんね。
17年余りの命でした。

ペットを飼うという事。
命を全うさせるという事。
年をとっても責任を持って飼い続けるという事。
口でいうほど、たやすい事ではありません。

私の尊敬するお客様に、
文鳥さんをずっと飼い続けた方がおられます。
それはそれは大切にされて、
穏やかな温かい時間を過ごしておられました。
そして先日、文鳥さんはついに天命を全うされました。
命と共に過ごすということは、そういうことなんだな、
としみじみと感じました。

私の中に、ずっと世話をしてあげられなかった犬への後悔。
穏やかな余生をおくらせてあげられなかった犬へのごめんねの気持ち。
犬が亡くなって20年以上経つ今でも、
ずっとずっと持ち続けています。