恨みを天に還す

昨日、久しぶりに四人までの面会が許可になったので、
じじねずみの老人ホームに家族で面会に行きました。
じじねずみ、今年の一月で91歳になりました。

じじねずみは、国立大学の教授でした。
また、定年後も80歳まで私立大学の教授をしながら、
精神科でたくさんの患者さんのカウンセリングをしていました。
と聞くと、とても立派な人を想像されるかもしれませんが、
外面はともかく、家庭では大変なワンマンな人で、
家族には皮肉や、揶揄も多く、冗談と称し意地悪なことも言い、
すべては父が中心に回っている、そんな家庭でした。

それでも、まだ、ただのわがままや、
ただのワンマンだったなら良かったのですが、
父が63歳の時に、ちょっとした事件が起きました。
それについて多くは語りませんが、
母や家族の信頼を失い、哀しませ、
そして母の死に関しては、さらに父の信頼を失うことが多くありました。

このことは、ねずみにもとても深い傷を残しました。
母が穏やかな幸せな時間を取り戻せず、
失意のうちに亡くなったことは、とても悲しく辛い出来事でした。
そんな父が認知症になり、東京に呼び寄せ在宅介護が始まりました。
あの頃のつらい日常をすべて店長日記に綴ることはありませんでしたが、
あの生活と、さまざまな葛藤や恨み、哀しみが、
ねずみを苦しめ続けたことは確かです。

今、じじねずみはすっかり呆けてしまいました。
昔のことは覚えていても、母やねずみを苦しめ悲しませたことについては、
まったく覚えていないでしょう。
となると、ねずみを苦しめているものは、ねずみの中にしかない。
母ももう、いなくなりました。
ふと、恨みはもう天に還そう、そう思いました。

昨日、ねずみ一家と共にじじねずみに会いに行き、
ねずみ一家が優しい人々だということを改めて感じました。
ねずみを支え続けてくれる連れねずみ。
何もかもユーモアに変えられる子ねずみ妹。
言葉は少なくとも、ただそこにいてくれる子ねずみ兄。
私の家族は、この人たちで、この人たちと幸せに暮らしていけばいいのだ、と
改めて思いました。

生きるということ。
それは、さまざまな大変さや辛さ、哀しさと共にあります。
だからこそ、穏やかな時間や、優しい人々、
ちょっとした幸せな時間が愛おしい。
長い間苦しんだ自分の中の気持ちは、
なかなか成仏させることは出来ないのかもしれないけれど、
幸せな時間、優しい出来事、
ほんの少しでも嬉しいと感じる何か。
そういったものが少しずつ成仏させてくれるように思います。