お坊さんの法話

本日、無事に父の四十九日法要が終わりました。

雨男の父らしく、朝から雨が降り、
夜には本降りになりました。
旅行などに行くときには、必ず雨が降っていましたから、
きっと冥途への旅も雨でしょう。
そして、傘をどこかに忘れるに違いありません。
生前の父が無くした傘は、数知れず(笑)

お念仏が終わってから、お坊さんの法話がありました。
「盆の由来のお話です。
母想いの子供が念力で死んだ母をどこにいるか見てみたら、餓鬼の世界におられました。
母はとても優しい人だったのに、どうして餓鬼の世界に在るのかと子供が仏さまに聞くと、、
「食べ物や衣類を家族以外に分け与えなかったからです。」と答えられました。
母想いの子供が『どうすれば母を助けられますか』と仏さまに聞きました。
仏さまはおっしゃいました。
『今から修行から帰ってくるお坊さんの列が通ります。
その時に飲み物と食べ物を差し上げなさい。』
その通りにしたところ、
お坊さんの皆様は、飲み物を一口、食べ物を一口召し上がり、
あとのものは、皆に分け与えたのです。
それで、お母さんは餓鬼の世界から解放されました。
お布施も「お金」と捉えられがちですが、そうではありません。
これもお寺に預けて、分け与えるものなのです。」
いろいろとおっしゃいましたが、大体このようなお話でした。

・・・・・。
おりしもどこかの宗教団体の話がテレビをにぎわせております。
テレビによると、そこの宗教団体の教えは
先祖がサタンに呪われている、
今の不幸はサタンのせいである、
人は生まれながらに罪がある。
浄財を納めれば、罪が救われる。
浄財は分け与えなさい。
そのために宗教団体に収めなさい。
そんなような話でした。
(真剣に聞いていないので、違ったらごめんなさい)

よく似た話だなぁ・・・。

私の経験で言えば、辛いことや、不幸なことは、
誰にでも起きているし、それは誰のせいでもないことが多く。
病気にしても、どれだけ注意していてもなることもあり。
人に不義理なことや、薄情なことがあれば、
そして、人を傷つけたりすることがあれば、それは罪ですが、
それはその人が償っていくことであり、
ましてやご先祖様の罪を今、償うなどということが出来るとも思わず。
生まれながら罪を背負うという考えは、
なんだか、せっかく生まれてきたのに、えぇ?がっかり・・という印象。
人が生まれるという奇跡は、
もう、それだけで尊いように思うのですが、どうでしょうか。

あっさり「お布施は法事の感謝の気持ちです。」と
言われたほうが納得できるなぁ・・と思いながら、
お寺を後にしたねずみなのでした。