子ねずみ妹ハタチになる。

先日、子ねずみ妹が20歳の誕生日を迎えました。

20年前、彼女の出産は覚悟を決めた出産でした。
彼女を妊娠中に、ねずみは水ぼうそうにかかってしまい、
それがこじれて肝臓を悪くして、入院しました。
医師からは「まだ週数が早いので堕ろされてもいいですよ。」と言われました。

医師によると、風疹と同じように水ぼうそうにかかると、
子どもの心臓に障がいが残る可能性があるとかで、
そもそも妊娠中に水ぼうそうにかかる症例があまりないとのことで、
そこのところは未知数だと言われました。

生まれた子どもに障碍があろうがなかろうが、
ねずみ自身は全く気にはしませんが、
子ども自身が「生まれたくなかった」と思ったら申し訳ないな、と思いました。
少ししか生きられない命でも、ねずみ自身は受け入れられると思いましたが、
子ども自身が「もっと生きたかった。」と泣きながら死んでいくなら、
それはとても可哀そうだな、とも。

でも、産みました。
何もかも、自然にまかせて、どんなことも受け入れて
一緒に支えて、守って、寄り添って、生きていこうと決めました。
生まれてきた彼女は、とても可愛く、小さく、真っ白で、
なんて尊いんだろう、と思ったことを覚えています。

心臓に障がいはなかったものの、彼女はとても身体が弱く、
すぐ熱を出しては喘息になり、入退院を繰り返しました。
ねずみは夜勤のあるフルタイムで仕事をしていて、
その当時の、子どもたちの父である夫とは折り合いが悪く、
子ねずみ兄と一緒に必死で乗り越えた、そんな感じです。
だから、今でも子ねずみ兄は私の同士のような、そんな気持ちがあります。

子どもたちの父である元夫と離婚するとなったとき、
元夫は「子どもたちは自分が育てる」と譲らず、調停になりましたが、
そこでも、ねずみが子供たちを手放すという選択は全くありませんでした。
子どもたちは、私が育て、守り、寄り添う。
もし、元夫が育てたいのなら、そんなに言うのならば、
今までちゃんとかかわっていれば良かったのだ、と主張して
(その他にもいろいろありましたが)
親権はねずみに落ち着きました。

その後、今の夫と再婚して、
ねずみは、ねずみ一家となりました。

20年。長かったような、短かったような。
2人の子どもを20年育てて来て、わかったことがあります。
私が、子どもたちを守る、寄り添うというのは、大きな間違いでした。
どんなことも、子ねずみ兄と子ねずみ妹に支えられ、守られ、寄り添われ、
私を人として大きく成長させてくれたのは子どもたちでした。
子育てがなかったら、私自身は全く成長しなかった、そんな気がします。

私のもとに生まれてきてくれて、ありがとう。
子どもたちが、自分の好きな道を進むことが出来ますように。
子どもたちの人生が豊かで実りあるものでありますように。
そう祈る、ねずみです。